ホームページ 北海道淡水魚保護フォーラム報告 オピニオン 運営委員 書庫 お問い合わせ 活動の記録 更新履歴

第7回北海道淡水魚保護フォーラム

北海道のサクラマスと河川環境の現状
卜部 浩一 (北海道立水産孵化場研究職員)
うらべ ひろかず 昭和46年11月18日、兵庫県尼崎市生まれ。

平成2年北海道大学水産系入学、平成9年北海道大学大学院地球環境科学研究科修士課程修了。

趣味は登山(スキー登山、沢登り、夏山登山)、川下り、川で泳ぐ、焚き火、園芸(実のなるものだけ)。最近の関心事は、子供たちにもっと山や川で遊んで欲しいなということです。そこでの遊びを通じて、自然の精妙な仕組みや生き物の大切さに気付いてくれたらなと思っています。そのためには、私たち大人がやらねばならないことが沢山あるんじゃないかなと思うのですが、実際は、自分の子供を野山に連れ歩くのが精一杯です。

1. サクラマスって何?

 皆さん、サクラマスをご存知ですか?実は、北海道民には非常に馴染み深い魚ですが、生活史の複雑さや漁獲量が減っていることにより、北海道内での流通量が多くないことから、何度か食べたことはあっても詳しいことはよくご存知ない方が大半かと思います。
 そこで、まずはサクラマスについて簡単に説明します。サクラマスは北太平洋に棲むサケマス類の一種で、一般にそれらのサケマス類は、北米、カナダ、ロシア、日本といった北太平洋沿岸地域に広く分布するのですが、このサクラマスだけはロシアのカムチャッカ半島から日本沿岸の東アジア地域にのみ分布します。


図1. サクラマスの生活史の模式図

 このサクラマスですが、北海道では海に降りる前に川で生活している時期の頃をヤマベと呼び、海に降りたものをサクラマスと呼んでいます(図1)以後、本文中では海に降りるまでをヤマベ、海に降りたものをサクラマスと呼ぶ)。こう言われると、「な~んだ、ヤマベのことか!」と、急にその距離が近くなったのではないでしょうか。このヤマベ、数十年前にはちょっとした小川ならどこにでもたくさんいて、50歳代以上の方なら、幼い頃に近所の小川でヤマベ釣りを楽しんだ想い出をお持ちの方も多いのではないでしょうか?文部省唱歌にもある「ふるさと」では♪兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、と歌われていますが、北海道では「ヤマベ釣りしかの川」だったのです。つまり、ヤマベは「北海道のふるさと」の象徴的な存在なのです。このヤマベが海に降りて成長したサクラマスは他のサケマス類の追随を許さないほど、非常に美味で、大きなものでは1尾1万円以上もする高級魚であり、国内ではその大半が北海道で漁獲されていることから、北海道の基盤産業である漁業を支える重要な存在でもあります。
 しかし、今、この「ふるさとの魚」、「重要な漁業資源」であるサクラマスが減少し、最近では、大人が山奥の清流にまで出かけてヤマベを釣らなければならない状況になりつつあります。また、漁獲されたサクラマスのうち、特に美味な大型魚の多くは、富山県名物の「マス寿司」用の高級食材として道外に流通し、北海道では、主に小型のものが春の訪れを告げる魚として店頭に並ぶ程度になってしまいました。今日は、そういう状況になってしまった原因と、その解決にむけた取り組みの現状と今後の方策、そして、その取り組みが私たちが住む北海道にとってどのような意味を持つのかということにについて話題提供したいと思います。


2. サクラマス資源の現状


図2. シロザケの放流尾数と漁獲尾数

図3. サクラマスの放流尾数と漁獲尾数
 過去から現在にわたって、北海道民に最も馴染み深い魚のひとつとして知られているサケ(シロザケ)は、人工孵化放流事業に成功し、近年では、漁獲量が低迷した1960年代の10倍ものサケが漁獲されるようになりました(図2)。

 一方、北海道におけるサクラマスの漁獲量についてみると、それは減少傾向をたどり、最近では1970年頃の漁獲量の約1/4程度にまで落ち込んでしまいました(図3)。同じサケマス類であり、同じく人工孵化放流事業による増殖の取り組みが進められてきたにもかかわらず、サケの漁獲量は増加し、サクラマスは減少の一途をたどっているという、不思議な現象が起きています。

 両種の資源状態に、このような違いが生じた原因としてはいろいろなことが考えられますが、この一見、不可解な現象を説明するには、次に挙げるサクラマスに特有の二つの事情に着目する必要があります。まず一つ目は、サケの資源はほぼ100%が人工孵化放流により維持されているのに対し、サクラマスの場合、サケと比べて放流数が非常に少なく、資源の大半が野生のサクラマス(人の手を借りず、自然に再生産(繁殖)しているサクラマス)により維持されているということです。二つ目は、なんらかの理由により、この野生サクラマスが1970年代以降に急激に減少したということです。つまり、放流を続けているにも関わらず、資源量が減少していることを説明する上で、また、今後、北海道のサクラマス資源を増やしていく方法を検討していく上で「放流数の少なさ」と「野生サクラマスの減少」が重要なキーワードになるということです。


 

3. 人工孵化放流によるサクラマス資源増殖の難しさ

 先ほど、サクラマスは人工孵化放流を行っているものの、漁獲の大半は野生資源に頼っており、その野生資源は急激に減少してきたと書きました。このことは、現在の放流規模では、サクラマス資源の底支え的な役割(資源の減少速度を緩める効果)は果たしているものの、残念ながら、資源量の向上には至っていないということを示しています。「それじゃあ、サケと同じようにサクラマスをたくさん放流すればいいじゃないか」というように考える方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、サクラマスはサケと異なり、卵を採るための親の魚(親魚)を安定的に確保することが非常に難しいという問題があります。さらに、卵から孵化した稚魚は海に降りるまでに、サケよりも1年長い年月を河川で過ごさなければならないという生態的特性があり、このことが原因となって,大規模かつ効率的な人工孵化放流を困難にしています。


4. なぜサクラマスは減ったのか?

 ここで、二つ目のキーワード「野生サクラマスの減少」が重要になってきます。人工孵化放流は野生サクラマスが減少したからスタートしたのですから、サクラマス資源を増やしていくには、野生サクラマスがなぜ減ったのか、その原因について考える必要があります。野生サクラマスの減少にはいくつかの要因が複合的に影響していると考えられていますが、その要因のひとつとして、河川環境が悪化したことが挙げられます。サクラマスは3年の生涯のうち2年間を川の上流から下流までの全ての場所を利用しながら過ごすため(図4)、河川環境の悪化は野生サクラマスに対し、大きな影響を与えます。

図4. サクラマスが発育段階に
応じた生息場所

図5. サクラマスの生息環境の
悪化事例

 
 河川環境の悪化にはいろんな事例が挙げられます(図5)。流域の森林の開発や荒廃に伴う土砂の流入、河畔林の消失、河川改修等、数え上げればきりがありません。これらのうち、私たちが最も注目しているのはダム(頭首工、砂防・治山ダム、貯水ダム等のサクラマスの遡上障害となる工作物)による影響です。魚道のないダムができると親魚が上流の産卵場所に到達できなくなり(図6)、そのような川では、ヤマベが急激に減少します。

 また、魚道などがあって上流で産卵できたとしても、稚魚から幼魚期にかけて、ヤマベはそれぞれの生活期に応じた生息場所に分散するために下流へ移動する場合が多く、海に降りる時も川を下ります。その際、ダム下のコンクリートに叩き付けられ、致命的なダメージを受けることがあります。貯水ダムの場合は、魚道があっても、降り口を見つけ出せなくて、下流に移動できません。
 道内の川にはこのようなダムがたくさんあることから、ダムが野生サクラマス資源に与えた影響は非常に大きかっただろうと考えられています。ちなみに、ダムの影響は知床の世界自然遺産登録の際にも問題となり、「ダムによるサケ科魚類の遡上障害を取り除くこと」という条件付きで登録されています。
 このように、二つ目のキーワードである「野生サクラマスの減少」は河川環境、中でもダム上流域にある産卵場、稚・幼魚期の生育場の喪失と密接に関連しており、サクラマス資源の本格的な回復を目指そうとするなら、この問題に対する解決策を見出すことが重要であると言えます。


図6. ダムで遡上できないサクラマスの写真


5. ダムの影響調査
 

 このため、私たちはダムの上流にサクラマスが自由に遡上できた場合、その上流域にヤマベがどれだけ棲めるのかを推定し、この推定値をもとに、ダムによる遡上障害の影響を無くしたり(ダムのスリット化)、緩和(魚道を設置)した場合に、どの程度の野生サクラマス資源を回復させることが可能かを調べるための研究を行ってきました。
 これまでに、ヤマベがどれだけ棲めるのかを正確に推定する方法の開発に成功しており、現在、その手法を用いて、渡島管内と桧山管内にある2つの河川で、ダムの影響を無くしたり、緩和した場合、ダム上流域にどの程度のヤマベが生息できるのかを推定するための分析を進めています。現在、調査・分析中のため、発表では調査結果の概略を説明します。


6. サクラマス資源を増やすには

 ここで、サクラマスを増やすためには何をすべきなのかまとめると、まずは、これまでの人工孵化放流による資源増殖の取り組みの継続が必要です。大量放流が難しいことから、放流という方法だけで1970年当時の水準にまで資源を増やすことは非常に困難だと考えられるため、現時点では、放流は野生サクラマスの減少を穴埋めし、これ以上の資源減少を食い止める手法と位置付け、今後は在来の野生サクラマスへの影響も配慮しながら、より効率的な孵化放流のあり方について研究を進めていく必要があります。
 もうひとつの方法は、河川環境の改善です。ダムのスリット化や魚道の設置という方法でダム上流域に遡上させ、資源の大半を占める野生サクラマス資源の再生産を促進することにより、資源の底上げを図ろうという方法です。この方法による資源回復に向けた取り組みは、現在、技術開発のための研究を行っている段階ですので、今すぐ具体的な取り組みにまで発展するという状況にはありません。ですから、今、最も急がれる対策としては、既設魚道の適切な維持管理により、野生サクラマスの再生産環境の保全を進めつつ、また、必要な場所ではダムのスリット化や魚道の設置により、再生産環境の復元に取り組んでいくことだと考えられます。
 このようなダムの問題の解決と同時に、ヤマベは生育段階に応じて必要とする生息環境の影響を強く受けることから、生育に必要な瀬‐淵の連続構造や稚魚期や越冬期に重要な川岸付近のカバー(隠れ場所)の保全・再生を行う必要があります。また、このカバーは河畔林が倒れこんで作られる場合が多いことから、河畔林の保全・再生も重要になります。河畔林は、昆虫類の棲みかにもなり、それらの一部は風などで河畔林から川に落ち、これが夏季のヤマベの餌として、重要な役割を果たしています。また、河畔林だけではなく、清流に棲むヤマベにとっては、流域全体の森林が豊かであることも重要な条件となります。


7. サクラマスを増やす環境づくりの価値

 ここまで、漁業資源という価値に重点を置いて、放流と河川環境の改善でサクラマスを増やす必要があると説明しました。ここで、もう一つの価値である、「ふるさとを象徴する野生生物としての価値」という観点から、サクラマスを見つめなおし、サクラマスを増やすための河川流域環境づくりの重要性について説明します。
 サクラマスは北海道の河川生態系の頂点に位置する貴重な野生生物です。このサクラマスはサケマス類の中でも最も上流域まで遡上し、産卵することから、川が河口から上流域まで分断されることなく、連続した1本の線として繋がっている必要があります。また、サクラマスは生活史段階(生育段階)に応じて、上流から下流域までにわたる川の全ての場所を生息場所として利用します(図4)。このため、サクラマスにとっては川が1本の線として繋がっているだけでなく、それぞれの時期に利用する場所の環境が良好に維持されている必要があります。
 このような、サクラマスの再生産に適した流域環境を維持するには、河川内の環境改善や保全はもとより、流域全体にわたって豊かな森林が維持されている必要があります。つまり、サクラマスを増やす取り組みは河川環境の改善だけでなく、豊かな森づくりと一帯となって進められる必要があるということで、このことは健全な林業の発展と切り離して考えることはできません。これらの取り組みにより、「非常に美味な」サクラマスが増え、北海道内で安定的に流通すれば、素晴らしい北海道ブランド食材としての活用も期待でき、観光業の発展も期待されます。
 以上のように、北海道の「ふるさとの魚」であるサクラマスを増やすための流域環境づくり(森林-河川生態系の保全)は、水産業のみならず、林業、観光業等の産業を安定的に持続・発展させることに繋がります。また、これら、産業への貢献だけでなく、「ふるさとの魚」が取り戻されることで、地域の子供たちが「ふるさと」の素晴らしさを再認識するための大きなきっかけにもなるのではないかと思います。
 ここまで至るには、解決しなければならない難しい問題がたくさんあります。でも、やってみるだけの価値は十分にあるように思われませんか?

「北海道・淡水魚保護フォーラム No.7 
「命の回廊(コリドー)としての川を取り戻す」(2006年9月23日、函館市) 講演要旨

 (C)2006 Kouichi Urabe, All rights reserved.