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第6回北海道淡水魚保護フォーラム

生物多様性保全と自然再生

岩瀬 晴夫 (いわせ はるお)
  株式会社北海道技術コンサルタント川づくり計画室


はじめに

 私がモノづくりの現場で意識してきた事は、認識・主体・行為の関係性とパート(役割)である(図1)。フォーラムのメインテーマ“なぜ、川の自然と淡水魚を守らなければならないの?"は理念・価値に関する認識の段階であり、次に具体的な主体者と行為者の現場がある。技術者である私の出番はこの具体的な段階である。理念・価値観に中立の立場でありたいのが技術者であるがなかなか難しい。その時代の共通認識(公共の福祉)を下支えするのが公共事業主体者すなわち行政で、その代行を建設コンサルタントが担う場合がある。そこに所属してきた技術者として、私の考えを述べてみる。

図1 三者パランスと私
 技術者として求められる役割を「目のまえの問題を解決できる実現可能な行為の選択肢を主体者に提供すること」と私は解釈している。フォーラム等で議論された公共事業に関する具現化の主体は行政である。行政が選択肢を手中にしていないと、どうなるか。物事は進まない。進まない,進めない行政に住民・市民は不信感を持つ。合意形成の大事な要件の一つがこの選択肢の有無と考えている。選択肢は技術の裏付けがあって実行可能となる。行政に実行可能な選択肢を提供するのが私の仕事の一部である。しかし、後述するように、私の川づくりの技術は、低レベルな「見試し」段階である。メインテーマの理念が現代社会の共通認識になっても、技術がおいついていなければ、理念先行だけに終わる恐れをいだく。理念で終わらないように、実体のある現場からの発想にこだわりつづけている。かつ低レベルの「見試し」段階を脱したいと焦っている。

1.コンサルの背景

 「コンサル」とは「建設コンサルタント」の略称であるが,私は“川と河川の違い''にこだわってきた。川と河川の使い分けが気になる。たとえば本フォーラムのテーマは「…川の自然…」であって「…河川の自然…」ではない。やはり気になる。なぜ“川と河川の違い"こだわるのか。それは、私自身が“川というより河川をあつかっている"と意識してきたからである。“川はみんなのもの"かもしれないが、“河川は法律に決められたモノとしての公共物"と解釈してきた。川を河川と言換え、専門家の独占物のようにしてきた態度が、川から人々を遠ざけた一因かもしれない。そこを横目で見ながら河川工学の視点で仕事をしてきた。ゆえに、この先の文章も、河川を意識しているのである。

図2 川と河川

 河川管理は、みんなからの付託を受けた法律上の管理責任がとわれる立場の者があたる。河川を管理する河川管理者(図2)を、河川法では国交省や地方自治体の行政と規定している。行政の代わりに調査・計画・設計等の河川管理関係業務を代行する民間が、コンサル。私は社会人になりたてからいままで、35年間コンサルの住人であった。戦前の公共事業は調査・計画・設計・施工のほとんどが行政の直轄であった。敗戦処理後の復興過程で連合国の勧告によりアメリカの制度ににせて発足したのがコンサのようである。私が社会人になった頃にはコンサル発足から20年経ていた。コンサルの技術力は行政の方が上で,コンサルは「行政の下請け的存在が当たり前」の認識であった。コンサルティング(行政の相談役や助言役)という言葉が通じる現代とは隔世の感がある。

図3 右肩下がりの公共投資

 「右肩上がり」といわれた戦後の経済成長にあわせて、日本国内の建設投資額と公共事業費も成長した。1990年のバブル崩壊あたりをピークに、2000年当たりから「右肩下がり」に転じ、この傾向は続くと試算されている(図3)。このような潮流と世界の潮流が合わさって新生物多様性国家戦略(2002年)がたてられた。この戦略の柱は①保全の強化、②自然再生、③持続可能な利用の3本である。このような新しい流れの中で、1990年の“多自然型川づくり”の通達は埋没しがちだが、私はこだわり続けている。その理由の1つが技術上の解決に程遠い現場状況認識にある。本文では技術上の問題解決をめざした「いたち川」と「真駒内川」の「見試し」事例でその辺の事情を説明する。

 「見試し」という聞きなれない言葉は大熊さんの本(後述)で知った。「見試し」を“試しにつくって、できた事物を観察し、修正してまた観察する"と理解した。“知ること、わかること"だけではなく仮説検証の実践を繰りかえし、終わりがないのが「見試し」だろうと。


2.いたち川の『見試し」

 横浜市栄区に2級河川のいたち川(流域面積13.9㎞2、流路延長9㎞)が流れている。典型的な積みブロックの都市河川である。1992年、河口3㎞から「ふるさとの川整備事業」(3.2㎞区間)の再改修に着手した。河床勾配1/300の小砂利河床。単断面の河床幅11mのうち中央部を30~40cm掘り下げて4mの低水路を設け、掘削土量を低水路の両側に盛土し、低水路内では瀬や淵をつくり旧河道の復元を試みている。淡水魚はオイカワが多い。ボウフラ対策で放流されたコイも全区問に生息している。
図4 いたち川 浸食'93(H5).5
図5 いたち川 浸食防'93(H5).5
図6 いたち川 11年経過 04(H16).11

 私は「多自然型川づくり」通達の翌1991年から横浜市に札幌から単身移り住んだ。ちょうど横浜市では「いたち川」の再改修をはじめていた。観察していたら1993年3月に工事をした低水路の早瀬工河岸が、工事2ヵ月後の5月出水で、小さな浸食が生じた(図4)。そのままにしておくと浸食は拡大する。浸食の河岸前後は自然の植生で被覆されているので、浸食防止策も「多自然型川づくり」の主旨で行 うのがのぞましい。さて、私ならどうするか考えた。コンクリートのような硬いものを使った河岸防御しか頭にうかばない一そんな自分に愕然とした。30~40cm高さの小さな河岸浸食防止策のアイデアがでてこないのである。なぜでてこないのか?自問した結果、いままでこんな簡単なことを設計したことがないからアイデアがでてこないのだと気づく。ここに「多自然型川づくり」のうまくいかない理由が潜んでいることも同時に納得できた。すべてはアイデアの貧困からくるのだと。ここを突破(ブレークスルー)するにはどうするか。原点にもどることであろう。原点とは「川の水と土砂の動き(静止を含む)による地形のでき方、壊れ方を知ること」である。この原点を知るにはどうしたらよいか。まず川に何らかの「見試し」(インパクト)をしてみて応答(レスポンス)を観察しようと決めた。

 自然河岸を真似しても再度浸食するかもしれない。再度の浸食(失敗)をおそれてコンクリート護岸にするのは芸がなさすぎる。「多自然型川づくり」の浸食防止策があると想定し、コンクリート以外の工法を無理やりひねりだしてみたが、壊れないかどうかの自信はない。事前に壊れない確認の計算をしたくても計算モデルがおもいつかない、事前計算で当たりをつける千法が使えない場合は、実施してみて壊れるかどうかを実証してみるしかない。そこで、横浜市のいたち川担当者に「浸食防止を直接やってよいか」と聞いてみた。軽微な作業内容で「労力と資材」を当方持ちだったこともあり、簡単にOKがでた。これが私の「現場から学ぶ多自然型川づくり」のはしりであり、一人「見試し」の先駆けであった(図5)。
 作業実施は1993年5月である。実施直後は心配で毎週現地にでかけ、応答をただ無心に見ていたつもりだが、現場にいくと応答の理屈をボヤーとだが、現場がおしえてくれるような感覚になりはじめ、とても不思議であった。この感覚がアフォーダンス(…させられる、というマイナーな生態心理学の専門用語)らしいと10年後に知った。実施後1年半経過して札幌にもどってからは、年に1~2回はいたち川を訪れ、当初と今の変化を比べている(図6)。いたち川の「見試し」実施から今年で12年経過した。再訪するたびに河川を含む白然の本質であろう撹乱を、実感する(ような気がしている)。


3.真駒内川(札幌)の「見試し」

図7 真駒内川 水制設置 ('96(H8).4)
図8 真駒内川 小中島設置 ('96(H8).7)
図9 真駒内川 蛇行形成 ('97(H9).7)
図10 真駒内川 蛇行消滅 ('03(H15).6)

 札幌市南区に1級河川の真駒内川(流域面積37.1k㎡、流路延長20.8㎞)が流れている。1:2法面河岸の都市河川である.1981年の水害を契機に1991年から「小規模改修事業」の工事(3.6㎞区問)に着手し1999年に終了した。高水敷のせまい複断面掘り込み河道で低水路幅は10m一人頭大以上の玉石がゴロゴロしている。河床勾配は渓流 にちかい1/125である。河岸は深目地(ふかめじ)の自然石張りや石羽口工(いしはぐちこう)で、河岸植生の回復を図っている。淡水魚はウグイ、ハナカジカ、フクドジョウが優先し、サクラマスも産卵している。
 1994年12月に約4年の横浜単身移住から札幌にもどった。道立真駒内公園に札幌市豊平川さけ科学館がある。その脇を真駒内川が流れている。自宅から徒歩で10分の近さにある。以前は気にとめなかった河道内の流れが、単一でわざとらしい流れ方にみえた。流れの単調さが問題なのだろう。流れの単調さを多様にするには、低水路のみお筋を蛇行させれば良いはずである.、このような発想の論理がアブダクション(仮説生成)だと後で知った。そこで、蛇行させるには水制が有効といわれているので、河床にある大き目の石を集めて水制らしい構造を1996年4月に置いた(図7)。この石の集積したものは徐々に変状をきたし、5ヶ川後の9月には全て流失した。積みあげた石の下部から自然の流水力で抜き取られたようで、壊れるプロセスを知りたかった私を満足させてくれた。またこの水制は予想していたほど蛇行形成にきかなかった。この「見試し」から、「蛇行は水の作用だけでなく、河床材料の洗堀・堆積作用」を学んだ。
 洗堀・堆積作川をいかすには小さな行の中島で可能だろう、とひらめいた。ひらめきが正しいのかどうか知りたくて、小さな中島を水制の下流80m付近に、1996年7月設置した(図8)。1年が過ぎ、仮説どおり堆積して蛇行の流れが形成された(図9)。更なる検証はこの中島が流失して、できた蛇行の流れが、元の単調な流れにもどるかどうかである。比較的大きな増水が1998年9月に発生し、中島は流失。流失後1年くらいかけて堆積物は洗堀し、蛇行の流れは元の単調な流れに復元したので、再検証ができた(図10)。ひらめきから発したとはいえ、この3年問の個人的な「見試し」(蛇行操作実験)で、白然河道の蛇行形成過程の一部がようやく見えた(感じをつかんだ)。


おわりに

 新潟大学の大熊孝教授(千歳川放水路問題や長野県ダム不要問題に関与)が、技術の発展段階について、私的段階(小技術)、共同体的段階(中技術)、公共的段階(大技術)の三段階説を提唱している。そこでは「見試し」も強調している。このことを2年前に知った(大熊孝著、技術にも自治がある、農文協、2002年)。私の実践してきた試行錯誤をひとことで表すと「見試し」ということになる。近代に入って「公共物の概念」で河川をくくり、公共物ゆえに公費や国費で管理されるようになった。公・国費とは税金のことである。国費の適正使用を監督する会計検査に対応すべく、全国に通用する構造令や河川砂防技術基準(案)の条文に従い、技術を駆使しているのが河川技術者であろう。その結果、大河川から小河川、南の川から北の川まで、公共的段階(大技術)で対処するようになった傾向がある。「多自然型川づくり」通達の実施も、この流れに沿うしかなかった。「多自然型川づくり」といえども似たような川づくりが全国で実施された。「多自然は他自然?」と揶揄され、自然の複雑さを再認識させられた。
 私は、いままでの流れから脱却する可能性を見つけようと、公共的段階(大技術)ではなく私的段階(小技術)を実践してきたようだ。「見試し」の2例(いたち川、真駒内川)とも、ささやかなモノである。これをきっかけに、その後いろいろな「見試し」を行った。「見試し」の継続は現地を読み解く力(問診力・臨床力)や解決する力(技術力)の育成に有効だと実感している。
 「見試し」を通じてえた自戒を2つ挙げておく。1つは、失敗を覚悟しなけれぱならないこと、もう1つは道具をそろえることである。「見試し」の質はさておき当人が現場で“できる"こと(現場での指示を含む)が前提である。新しい事物が“できる"ようになるには“失敗"と表裏一体である。また、新しい事物が“できる”ためには新しい道具の助けが必須である。だから「見試し」の裏打ちには「失敗と道具」を忘れてはならない。そこから自分の力量をはかり、身の丈にあった「見試し」が出発点となることを肝に銘じている。「見試し」の現代風な言い回しはアダプティブ・マネージメント(順応的管理)にあたるであろう。私的段階(小技術)はもとより、共同体的段階(中技術)や公共的段階(大技術)もアダプティブ・マネージメントの時代と私は認識しているが、「失敗と道具」の視点を忘れないことが肝要である。“知ること、わかること"の世界では「失敗と道具」はさほど重要ではない。しかし“できる"世界では、正しい方向感覚の失敗経験と新しい道具があるかどうか、にかかっている気がしている。
 最後に「見試し」で納得できたキーワードを書いておく。いろいろな「見試し」空間の現場で12年を経て獲得した一つが「空間の履歴」(桑子敏雄著、環境の哲学、講談杜学術文庫、1999年)の重要性である。また技術者の推論・論理(アブダクション=仮説生成)と、感覚・感性の新たな捉え方(アフォーダンス)にも共感し納得できた。これらのキーワードの前方に「多自然型川づくり」の方向がありそうだ。この方向が川の自然と淡水魚を守る手段につながる新しい現場の見方のような気がしている。そこでの私の役割はなんだろう、と自問しつつ。

「北海道・淡水魚保護フォーラム No.6
 「なぜ、川の自然と淡水魚を守らなければならないの?」(2005年7月16日、札幌市) 講演要旨

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